「デジタルカメラ」ではなく「デジタルフィルム」である

一眼レフカメラ

時にはカメラの話を

2010年代の半ばかちょっと前から、主流だった一眼レフカメラはどんどんとミラーレスカメラの勢いに押され、CanonやNikonが参戦したあとはあっという間にその立場は入れ替わってしまいました。実際の使用率はまだ半々くらいかもしれませんが、市場を見れば明快で一眼レフカメラはもう完全に過去のものとして扱われている。

時代は新しいものが作っていくのは世の常だと思う。なのでミラーレスカメラが信頼に足るだろうと感じはじめた頃、僕も類に漏れずミラーレスカメラへと乗り換えた。もともと新しいもの好きということもあるし、今までと違った視点は新たな可能性・写真を提供してくれるかもしれない。

 

だけど完全にメインストリームがミラーレスカメラになった今、また一眼レフカメラに回帰した。

ファインダーや操作性、そういった色々な理由があったのだけど、改めて一眼レフカメラを使い始めるとそういったカメラの機構に対するものだけでなく、もっとも重要なのはその当時の写真の写りだということに気付く。

 

近頃までは撮影する画像はRawデータであり、センサーにより多少の違いはあれど現像ソフトによって写真が形成されるもの。

そう思っていてカメラ自体に着目していたのは、どういったラインナップのレンズが用意されているか、操作感、見た目の格好よさ、自分の撮影テンションに関係するものばかり。

「デジタルカメラ」ではなく「デジタルフィルム」であると認識したとき、最近の自分の写真にある違和感の正体を知ることができた。

 

僕の中で人物写真のルーツのようなものが、スティーブ・マッカリーの写真集「ポートレイト」にある。綺麗や高精細とは違った、真に被写体が迫ってくる・語りかけてくるような力強いポートレイト。

ミラーレスカメラを使い始めてから、写真自体の品質がはっきりと向上していることは感じていたけれど、いつしかこの力強いといった表現がしっくりするような写真が撮れなくなっていた。

 

色々なカメラを使ってきたもので自分の写真を見返してみると、僕自身の一番好きだった頃の写真の写りがニコンのD810やD4に垣間見えた。そしてインターネットの作例に、当時なんとなくしか感じていなかったこの後のニコンの違和感を理解した。一眼レフカメラかミラーレスカメラかではなくて、この後のD850やD5から絵作りが大きく変わっているように思う。僕の意見としてはあっさりとしてしまい、鬼気迫るような表現が形を潜めてしまった。高精細でラチチュードも広く、高感度にも強い、明らかな品質の向上。どちらが良いというわけではないけれど、ただ僕は過去のものに魅力を覚えた。

 

同じメーカーであっても絵作りが大きく変わってくる、そう、「デジタルカメラ」ではなく「デジタルフィルム」と認識するとD850というフィルムじゃなくD810のフィルムの色の方が好き、ということをとても気持ちよく理解することができた。

これはまったくアナログの頃のフィルムの話と同じじゃないか、好きなフィルムが生産中止されてしまって新しいフィルムが次々と発売されているという風。なるほど、そういうことであれば生産中止されてしまったフィルムを手に入れることができる限り手に入れ、使える限り写真を撮っていこう。なくなってしまえばその時はその時、好きなフィルムを探すしかない。

 

というわけで近頃は、まあまあ古いデジタルフィルムを使用しています。

しかし出来上がる写真は最高に僕好み。

新しいデジタルフィルムも物色しながら、これからの時代を模索していこうと思う。

 

ニコンD4で撮影した写真。日常のスナップですが、どうぞご覧ください。

妻のいる風景
愛猫ハナ
近頃の息子は手首が好き
娘の朝は早い
ポートレイト スティーブ・マッカリー